地面から遠く離れ、雲を突き抜けた大空。
 そこに、一つの巨大な大陸があった。
 地面の人間には、『天界』と呼ばれている。

 そんな天界のとある街。そこでは、とある恒例行事が行われていた。
 その恒例行事を『空祭り』といい、それで歌われるという歌の名は……


 空賛美歌


「急げ、急げ!
 明日の空祭りに間に合わないぞ!」
 自分の身長よりも遥かに大きな木の板を持ちながら、褐色の肌を持ち、筋骨隆々とした
男は叫ぶ。
 そんな男の目の前では、約20、30人の、若い男達が、舞台装置を作っていた。
 「空祭り」という恒例行事で、一番重要なものだ。
 しかし、舞台装置が出来上がっただけでは、何も意味はない。
「ガンダ」
 そこへ、背中を丸め、杖をついた白髭の老人が歩み寄る。
 眉が白く、長いため、目が開いているのか、閉じているのかわからない。
「ノグバ様。
 なぜ、こちらへ」
「舞台装置がどうなってんのか、見たくなってな。
 ところで、彼女はどうなっておる?」
 ガンダと呼ばれた男は、茶髪の頭を掻く。
「それが、今、娘のノーナが探しに行ってるんですが」



 同じ頃の街郊外。
 そこは街以外の整備はされておらず、道は荒れ果てていた。
 地の果ては柵もついていなくて、少しでも足を滑らせて落ちてしまえば、助からない。
 そんな危険な地を歩きながら、
「リオ!
 リオー!!」
 と、父と同じ褐色の肌に、母譲りの亜麻色の髪の少女、ノーナは辺りを見渡しながら、
声を上げる。
「あのサボリ魔、どこへ行ったのかしら……?」
 キョロキョロと見渡しても、二つ年下の友人の姿が見えない。
 やれやれと肩を落とし、
「もう帰りたい……」
 とボソリと呟く。
 しかし、彼女を見つけるまでは戻れない。彼女がいなければ、明日の空祭りは成り立た
ないのだ。
 すると、風に乗って、透き通った歌声が聞こえてきた。
 歌声そのものは凄く綺麗なのだが、所々で音程がずれている。
 それも、同じような箇所で。
 歌っている人間は知ってる。少女の探し人だ。
 少し走ると、地面の縁に座り、黄緑の長髪を風に流し、両手を前に出して歌う後姿があ
った。
「リオ!」
 ノーナが呼ぶと、その後ろ姿は振り返った。
「あぁ、ノーナ。
 聴いてた?」
 まるで悪戯が見つかった子供のように、リオははにかんで笑ってみせる。
「うん。
 どうかした? いつもと歌声が違うけど」
 ノーナはそう言って、彼女の隣へと座った。

 リオは街の中一番の美声の持ち主であった美女、アリナの血を継いでいる。
 アリナの祖父母、つまりリオの曾祖母の代から、空祭りの主役である『空の歌姫』は、
リオの一族が担う決まりとなっているのだ。

「うん、明日が本番なのに、全然調子悪くてさ〜……。
 いつもならちゃんと歌えてたんだけど、ほら、本来は母さんが歌うはずだったから」
「あぁ、そっか」
 本来なら母が歌うはずの『空賛美歌』。しかし、歌い手の女性は、先々月の流行病で、若
干38歳という若さで、この世を去ってしまった。
 その後は、娘であるリオが歌う事になったのだが……。
「まだ、母さんを亡くしたショックから抜け出せないでいるみたい。
 歌の調子が悪いんだ〜」
「そう、なんだ。
 アリナ様が亡くなってから、リオ、歌わなくなっちゃったものね」
「うん。
 だから明日のお祭りに向けて、こうやって練習してたんだけど、所々音程を外しちゃう」

 空祭りの歌は、代々神聖な歌としていた。
 そのため、ほんの少しのミスも許されない。
 ミスが許されないからこそ、プレッシャーが圧し掛かる。
 しかもリオは、今回初めて歌うのだ。そのプレッシャーと、ミスが許されないそれと、
どんどん圧し掛かってくる。
「しょうがないよ。リオは初めてあの大舞台に立って歌うんだもの。
 アリナ様が死ぬ間際、あんたに何を言ったのか覚えてる?」
「うん。
 『怖がらずに歌ってなんぼよ』でしょ?」
 そう、母が死ぬ間際に言ったのは、自分が没した後に歌うであろう、娘へのエールだっ
た。
 アリナは、18歳のリオが未だ、大舞台で『空の賛美歌』を披露した事がない事を、常
に心配していたのだ。
 没した自分へかけられていた期待が、歳若い娘へと丸投げされる。
 その期待の足枷と、ミスが許されないというプレッシャーの壁、初めて歌うという緊張
の鎖。
 人一倍、プレッシャーに弱い娘だから、きっと母は……。

「それを聞いて、リオはどう思ったの?」
「それは、『失敗なんて気にしないで歌って欲しい』って事なんじゃない?」
「それもそうだけど、きっとアリナ様は、『プレッシャーなんて取っ払って、自分らしく、
思い切り歌って欲しい』って事を、あんたに伝えたかったんだと思う」
「自分らしく、思い切り……」

 その言葉を繰り返すリオ。
 意を決したのかのように、バンッと、軽く両頬を叩いた。
「うん、そうだよね!
 自分らしく、思い切り歌えばいいんだもんね!!」
 ノーナはようやく元気になったリオに笑顔で頷いた。
「さて」
 すくっと立ち上がり、
「ちょっと聞いててくれる?
 空の賛美歌を」
 と、未だ座りっぱなしの友人に言う。
 ノーナの答えは決まっていた。リオの歌声を、聴いていたい。
「存分に」
 お互い、笑みを向け合うと、リオは前を向き、口を開いた。

 空の賛美歌。
 それは、その名の通り、常に青くある大空を讃える歌。
 その旋律が、歌姫の口から紡ぎ出し、風に舞う。

 空祭りの準備で慌しい街を抜けて、天界全体へと、響き渡った。

 その歌声には、プレッシャーという鎖も壁も、何も感じられない。


 歌い終わった歌姫の表情は、清々しく、明日の祭りの成功を予感させた。











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