魔女と旅人は果てしない旅をする

 ある森に、魔女は一人で暮らしていました。
 白雪姫に出てくる、りんご売りの魔女ではありませんし、眠り姫に出てくる、姫に眠り
の魔法をかけた魔女でもありません。
 この静かな森に暮らしている魔女は、まだ幼い、小さな女の子でした。
 恥ずかしがり屋で、臆病で、人と接する事から逃げていました。
 そうしているうちに、魔女は気づきませんでした。

 この森で、この家で過ごしているうちに、周りの景色が変わっている事を。

 そんなある日の事です。
 コンコン。
 扉を叩く音が聞こえてきます。鳴ったことがないその音に、ご飯の準備をしていた魔女
の背中がぴくっと動きました。
 驚いたからです。この森、この家に誰かが訪れた事に。
 そっと近寄り、ドアノブを握ります。
 そして恐る恐る、扉を開けました。
「やあ、こんにちは」
 開けた先にいたのは、人間の青年でした。
 紫色の髪は、夕日の光に当たり、きらきらと光っています。同じ色の瞳はとても柔らか
くて、優しいものでした。
「こ、こんにちは……。
 何か……御用ですか?」
 魔女は言葉を選びながら、応対しました。
 心音が耳に届きます。人と逢うのが久しぶりで、緊張しているのでしょう。
「今夜、ここに止めてくれないかな?
 明日には、次の街に行かなきゃいけないんだよ」
 さあ、どうしましょうか。
 魔女は迷いました。
 今は夕方、あっという間に夜になってしまいます。
 ここは、村や町からずっと離れているので、追い出すわけにもいきません。
 魔女は迷いましたが、
「わかりました。
 今夜だけですよ」
 と答えました。
「ありがとう、今晩はお世話になります」
 青年は優しく微笑み、礼を言います。



 今日の夕食は野菜たっぷりのシチューです。何となく食べたくなって作ったのですが、
客人には好評でした。
 食事の間に、青年が旅の合間のお話を、魔女に聞かせます。
 例えば、今まで立ち寄った街の話、自分は旅をしている事、旅中での楽しいエピソード。
 話題が尽きる事がありません。
 ただこくりと頷き、食事の手を進めていた魔女も、旅の話に夢中になっていました。
 外の人とのお話は、とても久しぶりだからでしょう。
 このまま、旅の話を聞いて、夢心地で聞いていたいと思いました。
 しかし、青年は旅の人。
 次の日の朝に居なくなってしまうことを、魔女はとても寂しく思いました。
 旅人がいなくなる、というだけではありません。
 この家で一人、外の世界に触れずにただ閉じこもっている自分を、とても寂しく思い始
めたのです。
 青年の話を聞いて、この家そのものが世界ではないと、少女はやっと気づきました。
「……そこの街の紅茶はとても美味しくてね、一度飲んだら、その味が忘れられなくなる
んだよ」
「フェルニオさん」
 魔女は青年の名前を呼んで、会話を止めました。
「んっ?」
 フェルニオは首を傾げます。
「明日からの旅、私も連れて行ってください。
 お願いします」
 魔女は、抱き始めた小さな決意を口にしました。
 フェルニオは驚いていましたが、
「あぁ、構わないよ」
 と優しく歓迎してくれました。
「ありがとうございます」
「その前に、君の名前を教えてくれないかな?
 『魔女』じゃない、君の本当の名前を」
 それを聞いた魔女は、躊躇してしまいました。今まで、自分の本名を話した人がいなか
ったからです。
 意を決して、魔女は答えました。
「アリフェルナ、と言います」



 次の朝。
 燃えていく家を見つめ、
「本当にいいのかい、アリフェルナ」
 フェルニオは訊ねます。
「はい。もう、ここには戻らないと決めましたから」
 アリフェルナは、ただ燃えていく自分の家を、自分の記憶に焼き付けるように見つめま
した。

 さようなら、私の家。
 私はここには戻りません。

「さあ、行きましょう。
 今から出発しないと、街には着きませんよ」
 やがて鎮火し、原型がない家に背を向け、フェルニオを促します。
 彼は彼で、思うところがあるのでしょう。
 炭になった家を見つめていましたが、何も言わず、彼女と共に歩き出しました。









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